社会−内−存在ではなく世界−内−存在としての勇者たち

★「結城友奈は勇者である」レビューです。

あにこれβにも載せています。(http://www.anikore.jp/review/1159688/

 結城友奈、風、樹、夏凛、東郷の五人で成り立つ勇者部は、世界を守る神樹様の下に組織された勇者システムなるものに抜擢され、世界を破滅に導くバーテックスと戦うことになる。戦いの末、負傷を現実世界でも負うことになることを彼女たちは知らされていなかったことに衝撃を受け、東郷がシステム自体の破壊を目論む。「仲間を犠牲にしてまで戦うことなんてできない、それが避けられないならばいっそ世界は滅ぶべきだ」というわけである。しかしその破壊行為に直面した勇者部メンバーは東郷を説得し、世界の滅亡を阻止し、維持することを決断する。その後、勇者システムは中断を余儀なくされ、現実世界での勇者部部員たちにおける負債は取り除かれ、彼女たちは日常を再び享受することができるのであった。

 以上が、普通の読み方であるが、この物語は一種の労働闘争成功の物語とも読みかえることができる。勇者部部員はそのまま飲み込むしかない形で会社の労働環境へと組み込まれる。現実世界で彼女たちが祀られるのは、ある種の労災保険であるとも言えるだろう。戦場で傷を負ったものは、労災が下り、その分の手当てが支給される。しかしその会社はブラックであり、アプリには満開後遺症のことが記述されていなかった、すなわち労働内容の説明を怠っていたのである。そのため社員のひとりである東郷はそのことに激昂し、会社のシステム自体を壊そうとする。それは不備を明らかにしない会社への抗議運動である。他のメンバーはそれを辛うじて、世界への支障がない程度に食い止めるが、会社側はその抗議を受けて、システム、すなわち労働環境を改善するという名目を立て、彼女たちを現場から外すことにする。よく比較されると思うが、この物語が、まどか☆マギカと違うのは、まどかたちが戦っていたのは資本主義そのものであり、友奈たちが戦っていたのはひとつの会社であるということだ。要するに、神樹様によるシステムはブラックであろうと、外側が明らかに敵軍に蔽われている以上、そこには正当性が存しているのだ。そこから資本主義に組み込まれる物語とは異なり、ひとつの会社に組み込まれるということが窺える。

 ただこの物語における共同体は、単に楽しいから仲間と戯れるという自己言及的な回路に自閉してはいないことは留意しておくべきだろう。そこで注目すべきは犬吠埼樹が夢を見つけ、歌手になろうと活動を始めることだ。彼女は勇者部という共同体の中だからこそ夢、新たな目的を見つけたのである。ここには共同体は自閉的なものではなく、新たな目的を育む装置であることが示されている。それはまどか☆マギカにおけるまどかや、エヴァンゲリオンにおけるシンジとも異なっている。会社は決して世界ではなく、世界は常に新たな息吹を地平に宿らせるものなのである。