六道の辻周辺の探索、あるいは散策


普段非公開のものが見れるという特別公開の時期ですので普段こもりがちな僕もちょっと家から出ることにしました。まあ、特別公開されているとこは色々あるのですが(参照:http://www.kobunka.com/hikoukai11har.html)今回は前々から見たかった六道珍皇寺というお寺に。そんでゆっくり拝観した後はそこらを散策しました。
 さて特別公開についてですが、基本的には春夏秋冬とあり、一律に拝観料は800円です。そのなかでも割り振りがなされていて、夏と冬は古文化保存協会の方々が、そして春と秋には学生が案内をするのです。そして学生がやる時はお寺ごとにも、学校の割り振りがなされ、今回の六道珍皇寺に関しては京都産業大学郷土史研究会の方々が案内してくださいました。

 さて、僕の今回の目的は井戸の周りの庭園をみることだったのですが、予期せずおもしろい熊野観心十界図という絵画に出遭うことができました。写真撮影は禁止なので撮りませんでしたが、上半分には人が生まれ老いる様子。下半分には地獄の様子。奪衣婆や六道の餓鬼・畜生道・修羅・地獄道が描かれていました。あと賽ノ河原だったり血盆池だったり。有名なものがぎっしり描かれていてとってもおもしろかったです。うん、解説の人もそれほど詳しいことは言及せず、興味深いというよりは楽しめたという感じです。またこれは、おいてあった解説パネルによると不産女など女の地獄も描かれているのが珍しいんだとか。まあ不産女ときいて真っ先に「姑獲鳥の夏」が思い浮かんだ僕は早く積んである四巻目「鉄鼠の檻」を読んだ方がいい。それはおいといて。絵の真ん中には「心」という字があってその周りは仏の世界、極楽となっていました。なんでも、その「心」が表すのは、地獄も極楽も人間の心が創りだしたもの、日常のどこにでも存在する、ってことらしい。哲学的というか、教訓的というか、哲学的ですね。


 それをじっくり見た後は周囲の絵画の解説をまたもやじっくり見て慣れない単語のメモをとっていました。
 数が多いですが列挙していくと、救苦天尊、焔口餓鬼、中陰(49日)、四聖大帝、三官大帝、八大地獄(八熱地獄ー等活地獄、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、阿鼻)、十王思想、賽ノ河原ー地蔵、血盆池ー観音、西方無量寿如来などです。
 十王思想は去年ちょっとやったのですが、今度しっかり再確認しておきたいですね。それと地獄に関しては予想以上に中国の道教の影響が強いらしいことも知りました。


 そしてさて、庭園へ。
小野妹子の子孫であり、小野小町の先祖に当たる小野篁が地獄へ飛び込んだ井戸がここにあります。たしか「ホルモー六景」でも地獄に繋がる井戸の話が出てきましたよね。そういうことです。奥には小野篁の念持仏といわれる竹林大明神の社があります。あ、いつ建てられたか訊くのを忘れてました。でもおそらくは新しいものだと思います。
 それは新しいのですが、この井戸自体は平安時代から変わっていないというのが驚きです。お寺の方に訊いたところ付随するこの庭も殆ど当時のままらしいです。驚きですね。タウマゼインですね。江戸時代に故意に手を加えられたということもないらしく(まあ多分庭園として認識されていなかったんでしょう)、原状を保ってきたらしいです。もしかして僕が知らないだけでそういうのって京都に溢れているんでしょうかね。うーむ。それと、井戸の前にある仏さまですが、あれについてはお寺の方も分からないだそう。お寺の方は、ここら一帯は火葬地であり三途の鴨川を渡った死者の世界であったがために、この辺りを掘ったらお地蔵さんがたくさん出てくるらしく、それを近年持ってきておいたのかもしれないと、おっしゃっていました。

 まあ、案内の方とも少しお話して、ご朱印もいただいて六道珍皇寺を後にしました。



 通りに出たところでちゃんとあの幽霊子育飴もゲットしました!


 その後は折角だからと、京都らしいと噂の法観寺の方へ出向きました。

 その近くに庚申信仰金剛寺というお寺があります。その影響からかその周りのお店は、お寺で売られているくくり猿というものを軒先に下げておりました。くくり猿というのは猿を欲望に見立てて、その四肢を縛り、欲望を暴れさせないようにするさまらしいです。それ自体はいいのですが、それを下げている店があまりにも多く、その光景は何とも異様というか宗教が町に溶け込んでいるんだなあ、と感じました。おもしろい町です。
 あと、庚申信仰には興味があるので、機会や条件があれば庚申日に行ってみるのもいいかなあ。そこらはまた勉強してからおいおいにしましょう。
 珍しく今日は有意義と言える日になりました。



 以下は4月29日に行った西院春日神社の藤花祭(とうかさい)の様子。
 頭に紫の藤の花をつけての神事でした。18:00の夕暮れから一時間。日没をまたいでの神事でした。ギャラリーはまばらで、こういった住民に溶け込んだ神社、神事もいいものだなあと思いました。